神戸みなと知育楽座

令和6年度 神戸みなと知育楽座 Part12

テーマ「神戸のみなと・まち・歴史をもっと知ろう!」
~みなと・神戸とスポーツ
 

第1回講演概要

  日  時  令和6年6月8日(土) 午後2時~3時30分

  場  所  神戸海洋博物館 ホール

  講演題目  プロ野球
          「阪神タイガース アレンパはなるか!!」

  講演者   デイリースポーツ特別顧問
                改発 博明 講師

     参加者   26名

 講 演 概 要  (編集責任:NPO近畿みなとの達人)





















第2回講演概要

     日  時   令和6年8月31日(土) 午後2時~3時30分

    場  所   神戸海洋博物館 ホール

   講演題目  サッカー
          「70歳からのイレブン」

   講演者   Fc-gentile顧問
                 中村  実 講師

   参加者   名


 講 演 概 要    (編集責任:NPO近畿みなとの達人)

 
 台風のため中止 第6回で開催


第3回講演概要

  日  時   令和6年9月7日(土) 午後2時~3時30分


    場  所   神戸海洋博物館 ホール

   講演題目  山岳
          「マラソンの始まりは摩耶山から」

  講 演 者  前摩耶山マラソン実行委員会委員長
                前田 康男 講師


  参 加 者  44名


 
講 演 概 要    (編集責任:NPO法人近畿みなとの達人)

1, 日本のマラソン発祥の地は?
(1) 群馬県安中市
 安中市は群馬県西部に位置し、旧中山道の宿場町で、長野県軽井沢町に隣接。
 1855年(安政2年)の時の藩主・板倉勝昭が、50歳以下の藩士96名に16回に分けて安中城から碓氷峠まで約7里(29km)の徒歩競争を指示。数隊に分け5月中旬から6月初めにかけて実施。心身鍛錬のための競争。昭和30年に、「安中御城内藩士御遠足着帳」という古文書が発見されたが、そこに競争時の着順、着時間、氏名の記録が残っていた。
 これを記念し1975年(昭和50年)より毎年5月に「安政遠足侍マラソン」を実施。
 安中文化センターには「日本マラソン発祥の地・安中」の碑と「安中安政遠足之碑」が設置。

【日本マラソン発祥の地安中】の碑 【安中藩安政遠足之碑】   【安政遠足侍マラソン】

(2)神戸市
 1909年(明治42年)湊川埋 立地(現、湊川公園)から大阪・西成大橋(現、淀川大橋)に至る31.7kmの競争を大阪毎日新聞が「マラソン大競争」と銘打って開催。日本で最初にマラソンという名称が使われた大会。参加者406名、まず体格検査で120人に絞り、更に鳴尾競馬場で予選を通過した20人が参加。岡山の在郷軍人・金子長之助(25歳)が2時間10分54秒で優勝。2位を5分以上離しての圧勝。金子は御影付近で草鞋の鼻緒が切れたが、その後、はだしで走り完走。「神戸マラソン」の開始された2011年(平成23年)に須磨ライオンズクラブにより神戸市役所東側に「日本マラソン発祥の地・神戸」の碑が建立された。

    【市役所前の碑】   【マラソン大競争・スタート】  【マラソン大競争、予選写真】

(3)摩耶
 1872年(明治5年)4月、居 留地から天上寺までの13.7kmを往復する長距離ロードレースを、神戸レガッタ&アスレチッククラブ(略称KR&ĀC)が開催。KR&ĀCは、1970年(明治3年)にA・C・シムが設立した居留地外国人たちのスポーツクラブで、シム自身もこのレースに参加、1時間24分30秒でぶっちぎりで優勝している。このレースには、シムの他、グルームやブラックウェル(ヒョウゴ・オオサカヘラルド記者)なども参加しているが、グルームは早々と脱落、ブラックウェルも復路で離される一方だった。シムは事前にスチール製の30mのチェーンで天上寺までの距離も測定、距離こそ現在のマラソンに比べ短いが、近代マラソンのルールに沿った最初の長距離ロードレースといえる。                   このレースについて、ロバートヤング(後に「コウベクロニクル紙」を創刊)は、
『摩耶山は、居留地から4マイル半も離れて、実際道は多くの十字路で横切られており、海抜2300フィートの高さで登りのきつい箇所もあり、260の石段の心臓破りを走破しなければならないのである』と表現。

    【KR&ĀCビル】     【東遊園地のシム顕彰碑】 【外国人墓地のシムの墓碑】

2, 明治5年の摩耶山天上寺へのレースはどの道を走ったのか?
 居留地をスタート後、旧天上寺への道は、旧摩耶道、青谷道、上野道の3通りがある。 
 各資料で天上寺へどの登路が紹介されているかをみてみよう。
 「摂津国名所大絵図」・1748年(寛延元年)➡上野道
 「摂津名所図会」・1796年(寛政8年)➡上野道
 「新改正摂津国旧跡細見大絵図」・1836年(天保7年)➡上野道
 「日本名勝地誌」・1893年(明治26年)➡上野道
 「西摂大観」・1911年(明治44年)(中国地方から)➡旧摩耶道、(大阪京都から)➡上野道
 「近畿その日かへり」・1917年(大正6年)➡上野道
 「西灘村史」・1926年(大正15年)➡上野道は旧道
      大阪方面からは、阪神岩屋から➡バス、ケーブル利用、西神戸から➡青谷道
 「摩耶の栞」・1926年(大正15年)・・(明治27~28年に改修した新道)➡青谷道  
 以上より、明治半ばまでは上野道が主であったことが分かる。旧摩耶道は明治後半になって出て
くるが、それまではメインの道ではなかったのでは?青谷道は明治27~28年に改修後、多くの人が登るようになったと思われる。➡明治5年のレースのルートは上野道を通ったと推測する。

3,2013年に140年ぶりに摩耶登山マラソンを復活⇒「シム記念摩耶登山マラソン」
 (1)2013年に、第1回大会を開催(第7回まで継続、現在休止中)
 (2)実行委員会メンバーは、「KR&ĀC」,「摩耶山再生の会」,「灘百選の会」,「つくばね登山会」,「摩耶山を守ろう会」,「摩耶山観光文化協会」の6団体と実行委員長
 (3)灘区役所、及び灘区の多くの企業、商店、団体の協力。「オール灘」による手作りの大会

4,日本におけるマラソンの歴史
 (1)1759年(宝暦9年)・・宇和島藩主が藩士に「遠走(とおばしり)」を指示
 (2)1855年(安政2年)・・安中藩主が藩士に碓氷峠迄、遠足競争をさせた。(約29km)
 (3)1872年(明治5年)・・神戸居留地~天上寺往復ロードレース(13.7km)
 (4)1896年(明治29年)・・近代オリンピック第1回アテネ大会開催、マラソン実施(40km)
 (5)1909年(明治42年)・・日本初の「マラソン大競争」開催(神戸~大阪)(31.7km)
 (6)1911年(明治44年)・・五輪参加へのマラソン予選大会が、東京で開催(金栗四三)
 (7)1912年(明治45年)・・第5回五輪ストックホルム大会マラソンに日本初参加(金栗)
 (8)1924年(大正13年)・・第8回パリ五輪大会よりマラソンの距離が42.195kmに変更
 (9)1975年(昭和50年)・・「安政遠足侍マラソン」開始
 (10)2011年(平成23年)・・「神戸マラソン」開始
 (11)2013年(平成25年)・・「シム記念摩耶登山マラソン」開始

【旧天上寺への登山路】

【天上寺への道、東から、上野道、青谷道、旧摩耶道】
                          (六甲歴史散歩会・前田 康男)






第4回講演概要

    日   時   令和6年10月5日(土) 午後2時~3時30分

    場   所   神戸海洋博物館 ホール

    講演題目 ゴルフ
         「日本のゴルフは神戸に始まる」

    講演者   一般社団法人神戸ゴルフ倶楽部理事長
                岡橋 輝和 講師

    参加者   19 名



 講 演 概 要    (編集責任:NPO法人近畿みなとの達人)

イギリス発祥と言われているゴルフですが、現状は1位アメリカ、2位イギリス、3位カナダ、4位日本となっており、4か国で世界の75%を占める状況です。日本はアジア圏におけるゴルフ場の50%を有するゴルフ大国であり、日本のゴルフ産業は、年間売上げ1兆1600億円、年間利用者数は延べ7,700万人、ゴルフ場従業員数は15万人です。

神戸ゴルフ倶楽部は、遡ること121年前に、英国人貿易商であったアーサー・ヘスケス・グルーム氏により創立された日本最古のゴルフ場です。現在のクラブハウスは、創立から30年後の1932年に改めて、有名な建築家ウィリアム・メリル・ヴォーリス氏の手により設計・建築され、創立当時の雰囲気がそのまま残っております。

創設当時の六甲山はハゲ山で、サンドグリーンでした。メンバーは籠にのって六甲山に登ってきています。ご婦人もゴルフを楽しみました。キャディーチャンピオンの横田留吉君はのちにプロゴルファーになります。

標高845mにありますこのコースからは、南は阿倍野ハルカス、生駒山、関空、少し西を眺めますと、淡路島から遠く四国までの眺望です。
さすがに、この標高ですと冬場はラウンドが厳しくなりますので、残念ながら倶楽部は4月初旬から11月下旬までと、約半年の営業期間となっております。

一般社団法人として、2013年4月に兵庫県から認可頂きました。
保有する財産の中から、地域貢献活動を行うお約束であり、六甲山小学校のマラソン大会へコ-スを解放したり、ヴァイオリンコンサートを企画しています。

実は、このコース内No.8番ホール横に、「チェンバー」という施設が有ります。
いわゆるロッヂですね。ご案内させて頂いたチェンバーやクラブハウスは2014年に文化庁の有形文化財に登録されました。現会員であるわたくし共としましては、この貴重な財産を次の世代に引き継いでいく、という強い思いをもって運営しているところです。

倶楽部120周年記念事業として「神戸市制定ふるさと納税」を活用した保全改修工事を実施するべく、企業様、個々人の皆様への幅広い寄附活動を神戸市ご当局のご理解のもと、順次展開させて頂いているところです。年末までお申し込みを受け付けているので、ご興味がおありの皆様にはこの場をお借りしてぜひご協力を賜りたく存じます。


質疑応答

1) 会員ではありませんが、エントリー、プレイすることができませんか?

 基本的にはメンバーの方、同伴、メンバーのご紹介となりますが、関西ゴルフ連盟のイベントにご協力しておりますので、関西ゴルフ連盟の一般募集にご応募頂ければ、プレイすることは可能です。

2) 国内のゴルフ場の数が、千葉県、兵庫県、北海道に多いとご説明がありましたが兵庫県に多い理由は何でしょうか?

 日本初のゴルフ場が既にありましたので、お役所の許認可が出やすかったことはあるかと思います。

3) 開港当時からあった3つの倶楽部、神戸外国人倶楽部、(KR&AC)神戸レガッタ&アスレチック倶楽部、神戸ゴルフ倶楽部とは関係があったのでしょうか?

 食事を楽しみ、スポーツを楽しみ、ゴルフを楽しむ。ほぼ一緒のメンバーだったと思います。日本人が欧米文化に触れる入り口になったのは、横浜も同様ではないでしょうか。

 横浜のスポーツ倶楽部とは今でもダーツの対抗戦が行われています。

4) 登山の際に近くを通りますと、とても歴史のあるクラブハウスだなあと思っていました。中を見せて頂くことはできませんか?

 いつでも自由にということはできませんが、折角のご縁ですので、事前にお電話して頂ければ可能な限り考えさせていただきます。






第5回講演概要
    日   時   令和6年12月7日(土) 午後2時~3時30分

    場   所   神戸海洋博物館 ホール

    講演題目  ラグビー
         「ラグビー初ホイッスルは神戸で」

    講演者   (財)日本ラグビー学会理事
                 高木 應光 講師

    参加者   名



 講 演 概 要   (編集責任:NPO法人近畿みなとの達人)