神戸みなと知育楽座

令和元年度 神戸みなと知育楽座 Part11

テーマ「神戸のみなと・まち、歴史をもっと知ろう!」
神戸、大阪湾を取り巻く自然~
 

第1回講演概要

  日  時  令和元年6月22日(土) 午後2時~3時30分

  場  所  神戸海洋博物館 ホール

  講演題目  「大阪湾の流れと水環境
            ~今、大阪湾で何が起こっているか~ 」

  講演者   (一財)災害科学研究所研究員
          (大坂大学工学研究科教授)
                西田 修三 講師

     参加者   95名

 講 演 概 要  (編集責任:NPO近畿みなとの達人)

 はじめに
 大阪湾は、高度経済成長期の環境汚染の時代を経て、水質改善と生態系保全に向けた環境施策が今日まで講じられ、水環境はだいぶ改善してきた。しかし、今、新たな課題に直面している。これから先、大阪湾の水環境の再生と創造に向けて、どのような方策を講じるべきか、大阪湾の流れと水環境の変遷、そしてその現状から探る。

1 流れと水質
 物質は生化学変化を伴いながら流れに乗って輸送される。水環境は、水質だけでなく、流れと物質輸送の視点からとらえることが重要である。
 水の流れとともに物質も運ばれ、その量によって水域の水質が決まる。さらに運ばれてきた物質は、その水域の生物的・化学的反応によって変化し、形態を変える。
陸域から流入した流入量は、河口から大阪湾のような閉鎖的な内湾に入り、物質が生物的・化学的過程を経て変化した内湾水域の水質となって、湾口から外海へ流出してゆく。
 流域から海域への水・物質輸送は、自然系(湖沼、河川、海、地下水、大気など)は、制御できないが、              
人工系(ダム、上下水道、取水、揚水、導水など)は、制御できる。
 水とともに運ばれる重要な物質は、窒素、リン、ケイ素、有機物などで、健全で持続可能な水・物質循
環系の構築して行かなければならない。
 人工系の水・物質輸送は、森から里に至り川を通って、湖沼(一部は地下水)再び川に入って海の注ぐ。
この間一部は都市に入り、また、川に注ぐ。

2 栄養物質(栄養塩)と水質現象
 都市河川の課題として、アオウキクサ(左写真)の発生、スムカ(右写真)の発生がある。水質汚濁(赤潮と青潮)と栄養塩は深い関係があり、 淡水、土砂、栄養塩、有機物の供給と日照による光合成で一次生産が生じる。これがアオウキクサを生む。底泥からの栄養塩流出から異常増殖が生じ、沈降、堆積を繰り返してムスカとなる。
 水質汚濁と栄養塩の関係を表した模式図は次ページの絵のように示される。
 高度経済成長期には、汚濁負荷が急増、海域の有機汚濁、富栄養化が進み、現在、汚濁負荷の削減、下水道施設の整備から汚濁負荷は着実に減少しているが、赤潮、貧酸素水塊は未だ頻発、海域によっては貧栄養化の指摘されているのが現状と言える。
 大阪湾の水質の変遷をCOD(下図)、全窒素(その下左図)、全リンで(同右図)見ると下のグラフのようである。CODは近年横ばい、全窒素、全リンは大きく改善されている。
 瀬戸内海の水質の変遷を示したのが下の図であり、ほぼ横ばい状態を示している。
 大阪湾の植物プランクトンの表層分布を見ると、いまだ青潮の発生が見られ 御前浜の写真(下右)は、きれいな海のように感じるが、実は青潮が色づけている。
 大阪湾へのCOD の流入負荷量は1970年をピークに減少してきている。これに対して漁獲量は1985年がピークでそれ以後減少してきている。したがって流入負荷量が減少したことで、漁獲量が増加しているとは言い難い。(下図)
 一方間大阪湾では、ノリの色落ち現象が大きな問題となっている。色落ちの原因は、栄養不足特に窒素不足であり、環境施策により栄養流入量の減少があげられる。また、大型珪藻(特に冬に出現、繁殖速度が大きい)の発生も問題である。対策として、貯水池からの放流、下水の処理緩和
などにより対応している。
 水域の栄養塩と生態系を考える時、生態系ピラミッドが健全な栄養塩循環と生態系の再生のように健全な状態に保たれる必要がある。健全な生態系では、一次生産→二次生産と次々進むが、富栄養化により水質、低質汚濁が進み、赤潮・貧酸素水塊から一次生産以下が細る。負荷削減・貧栄養価化では、生産性が減少し、全体が細る。栄養塩の供給により生産性過剰になって、全体が太るが、これで再生して元に戻るかとも言えない。この関係を図にしたものが前ページの図である。
  
3 環境悪化の要因と施策効果
 水環境悪化の要因と改善策として、① 気象・海象、② 大気では、降下煤塵・酸性雨、③ 陸域では  汚濁負荷の流入があり、これに対する負荷削減対策として、CODの総量規制、窒素・リン総量規制、下水道施設整備があげられる。④ 海域では、内部生産(プランクトン等の発生)、底泥からの涌出(堆積有機物の分解)がありこの削減対策には、浚渫、覆砂が、地下水湧出・地形改変に対するものには、再生産として、藻場、干潟造成がある。
 沿岸海域の水環境への黒潮の影響をみれば、右図のように、黒潮接岸時には、高温・貧栄養の黒潮表層水が、紀伊水道を経て大阪湾に入り、黒潮離岸時には、低温、冨栄養も黒潮亜表層水が、底部から大阪湾に入る。黒潮が蛇行することによって、大阪湾と外洋の物質交換量が変化する。
 黒潮接岸による大阪湾の水質への影響について、外海から栄養塩流入状況の計算すると、離岸時、接岸時で大きな動きが見られる。
埋立ての流動への影響を見ると、海水交換に及ぼす埋立ての影響では、1930年と2000年を比べ海水交換が悪くなっている。
 大阪湾における、浅海域や自然海岸の消失は、戦後100平方キロ以上、海域面積約7%が減少した。その結果、湾奥沿岸部の滞留により、プランクトン増殖や沈降堆積が促進されている。
 埋立ての流動への影響において、負荷源対策として、下水道からの負荷削減施策として合流式下水道への改善を見ると左図のように説明される。
 道頓堀川・東横堀川の水質改善の取り組みは、 中浜下水処理施設の整備、平成の太閤下水と言われる新たな施設の建設により、処理しきれない下水を一時的に貯留し、降雨後処理場へ送水して、河川流動変動の平滑化し、物質輸送量の減少を図っている。貯留施設による水質改善効果の定量的把握と健全な物質循環を考慮した管理・運用がめざされている。

4 都市沿岸域の水環境の保全・再生・創造
  水環境改善策としては、次のようなものがある。
   1 流入負荷削減:下水処理の高度化、合流式下水道の改善、COS地下貯水施設
   2 底質改善:浚渫・覆砂・薬剤処理など。国交省の海域環境創造事業(シーブルー計画
      として全国展開している。)新生堆積物の堆積速度 > 分解速度 の場合、効果
     減衰する。
   3 浚渫窪地の埋め戻し:東京湾、大阪湾などで埋め戻し事業が進行
    4 藻場・人工干潟・塩性湿地の造成:藻場の保全と再生それに加えて環境教育が必要。
     安定した人工干潟造成は難しい。砂の補充も必要で成功例は少ないと言える。
     大和川河口に人工干潟造成:アユの生育場として機能している。
   5 緩傾斜護岸、生物共生型護岸への変更:海藻類の着生機能、魚の蝟集機能生物共生
     機能を付加した直立護岸
   6 透過型(海水交換型)防波堤への変更:防災機能+海水交換機能。ケーソンにスリット
     や透水部を作る。防波堤の一部を透過型ケーソンに変更すると水質改善の効果がある。
   7 下水道水の再利用:環境用水、管理運転を行う。汚濁都市河川の希釈水、高度処理水、
     超高度処理水を利用する。栄養塩類を能動的に管理することにより、沿岸海域に栄養塩
     を供給できる。
   8 その他 流動・環境制御

 生態系を配慮した海岸構造物が考えられているが、堤防設置位置と生態系への影響を考えれば、都市沿岸部では不適と言える。生態系共生型護岸としては右の図のように、着生機能を備えた護岸として、消波ブロックを備えた護岸もあるが、直立護岸対象の環境配慮型構造物には、直立護から緩傾斜式護岸、自然海岸、複合型護岸、桟橋式護岸ケーソン式(中空部有)、階段形式、窪み形式などが考えられている。
 舞洲においては生物共生型護岸を整備し、親水空間を保つように工夫している。関西空港では、一期空港島で約78%、二期空港島でも護岸の約90%を緩傾斜護岸にしている。  空港島の緩傾斜護岸には多くの海藻が着生し、その周りに多くの魚が集まってきている。
 沿岸部における生態系ネットワーク、すなわち生物の生息上のつながりは、生態系の維持に貢献 擾乱に対する回復機能を有するように努めている。
 沿岸域の生態系ネットワークを見れば、二枚貝の浮遊幼生、海藻幼胚(種子)の移動などが存在する。安定した生態系の回復を図るために生態系ネットワークを把握することは重要である。
 大阪湾の藻場の分布は、人工藻場である関西空港、神戸空港周辺などが、自然の藻場は、大阪南部と淡路島東岸である。 海藻幼胚の移動は、湾南部紀淡海峡付近で自然藻場での活発な幼胚の出入りがあり、関空島護岸藻場から幼胚が供給されている。また、明石海峡周辺藻場と神戸空港島護岸藻場の幼胚の出入りが認められるが、湾全域としては、幼胚の出入りが少ない。(右図参照)
 最近の話題として、SDGs(持続可能な開発目標)があり、2030年までの国際目標(17項目)のうち、生命の根源である水の保全(目標6)、気候変動(目標14)、海の生態系(目標15)、陸の生態系(目標16)となっている。
 ブルーカーボンという言葉があり、海の生き物によって吸収・固定される炭素を指す。ちなみに森林吸収はグリーンカーボンという。
 環境DNA(eDNA)は、川・海・湖沼などに含まれるDNAを分析することで、生息する生物の種類や数を把握する手法である。

5 新しい視点
 陸地でいう「里山」と同じように、「里海」という言葉が使われだしている。
 「里海」とは、人手が加わることにより生物生産性と生物多様性が高くなった沿岸海域を言い、陸地でいう里山と同じく人と自然が共生する場所と言える。藻場は海藻が繁茂し、水質・底質の浄化や、魚介類などの産卵・成育場、稚魚の隠れ場となる。干潟は底生生物による水質浄化機能が高く、底生生物を餌とする魚類や鳥が数多く集まり、生態系や物質循環においても重要な場所となる。
 里海の機能は、生物多様性、生物生産性、物質循環に資することである。



第2回講演概要

     日  時   令和元年8月10日(土) 午後2時~3時30分

    場  所   神戸海洋博物館 ホール

   講演題目  「防災気象情報の利用、活用について」

   講演者   神戸地方気象台次長
                 溝本 悟 講師

   参加者   55名


 講 演 概 要  (本講演概要は配布資料からまとめたもので編集責任は、
           「NPO法人近畿みなとの達人」にあります。)

  はじめに
 神戸地方気象台の歴史を紐解くと次のよう、神戸測候所から海洋気象台を経て現在の形となっている。
  1896年(明治29年)12月1日 神戸測候所気象観測業務開始
  1920年(大正9年)8月25日 神戸に海洋気象台創設
  1999年(平成11年)9月1日 現在地(中央区脇浜海岸通)に移転
  2013年(平成25年)10月1日 神戸地方気象台に組織変更
 本講演では,① 平成30年7月豪雨、② 平成30年の台風、③ 急な大雨、④ 平成30年の近畿地方の記録的な高温、⑤ 平成30年の大阪府北部の地震、⑥ 天気予報の見方、⑦ 防災気象情報の利活用 の6項目について話す。

1 平成30年7月豪雨
 6月28日以降、北日本に停滞していた梅雨前線は、7月5日には西日本まで南下してその後停滞した。梅雨前線や台風7号の影響により、日本近海に暖かく非常に湿った空気が供給され続け、西日本を中心に全国的に広い範囲で記録的な大雨となった。7月6日から8日にかけて、福岡県・佐賀県・広島県・岡山県・鳥取県・兵庫県・京都府・岐阜県・愛媛県・高知県の11府県に大雨特別警報を発表された。
 大雨による災害を説明すると、右のように、土砂災害(土石流、がけ崩れ)、浸水害(内水氾濫)、 洪水害:(外水氾濫)に分けられる。
 大雨警報(土砂災害)の危険度分布は、ブロックごと、地域ごとに色刷りであらわしている。洪水警報の危険度分布は、河川ごとに表している。

2 平成30年の台風
 平成30年には台風12号、20号、21号、24号が相次いで近畿地方を襲った。7月29日の台風第12号は、過去、経験したことがない進路をとり、01時頃三重県伊勢市付近に上陸し、西を向かって進んだ。神戸空港の最大風速は、南南東19.2m/s(29日05時30分)であった。台風20号は8月23日に四国から中国地方を通過して日本海に抜けた。
 京阪神に大きな被害を与えた台風21号は9月4日14時頃神戸市付近に再上陸、阪神地域を中心に防風、高潮被害が顕著であった。神戸の日最低海面気圧 は、958.2hPa(4日13時52分)で、観測史上4位(1位は945.9hPa:第2室戸台風)であった。
 台風21号は大阪湾に高潮をもたらし、各地の最大潮位偏差(実潮位から天文潮を引いたもの)は、神戸:2.30m、西宮:2.54m、尼崎:2.95m、大阪:2.83m、泉北:2.56m、岸和田1.59m、淡輪:1.97m であった。芦屋、西宮、甲子園、鳴尾、尼崎(武庫川下流)の各地で浸水被害を生じた。

台風の大きさと強さについて
 台風は、中心付近の最大風速が17.2m以上の熱帯低気圧を言うが、大きさと強さについて次のように定めている。
 大きさの階級 大型(大きい) 風速15m/s以上の半径 500km以上~800km未満
        超大型(非常に大きい)      800km以上
 強さの階級 強い 最大風速33m/s以上~44m/s未満
       非常に強い  44m/s以上~54m/s未満
       猛烈な    54m/s以上
 最大風速と最大瞬間風速との比は、概ね1.5~3倍程度(観測条件によって異なる)である。
 平成31年3月14日から、台風に関する強度予報をこれまでの3日先から5日先までに延長し、台風の進路・強度ともに5日先までの予報となった。5日先までの進路・強度予報を1日4回(3時、9時、15時、21時)に発表、被害の恐れが出てきた時は1日8回(0時、3時、6時、9時、12時、15時、18時、21時)に発表している。

暴風による災害(台風)
 台風の右(東)側は、台風自身の風向と台風を動かす風向が同じ方向に吹くため風が強くなる。一方、台風の左(西)側は、台風自身の風向と台風を動かす風向が逆になるため風が弱くなる場合もある。
 台風21号は神戸市付近に上陸、台風の東側に位置した大阪府などでは、猛烈な風が吹き、車の横転、屋根が吹き飛ぶなどの大きな被害が発生した。

高潮、高波による災害(台風・低気圧)
 台風の通過とともに高潮が発生するが、① 気圧効果による吸い上げ効果→1hPa低下で1cm潮位上昇、
②風による吹き寄せ効果→風速が2倍で4倍の潮位上昇 の二つが発生原因である。台風の通過に伴い、風上側に開いた湾奥で高潮が大きくなりやすい。21号による高潮、高波の影響で、神戸市や芦屋市、西宮市などの沿岸地域で大きな被害が発生している。

3 急な大雨
 平成20年(2008年)7月28日発生した都賀川豪雨により多くの人命が失われたが、原因は、日本海南部にある前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込み、上空には寒気が入っていたため、大気の状態が非常に不安定となり、午後は雷を伴った大雨となったためである。この時は、雨の降り始めは14時34分で、14時50分頃に災害が起こり川の水位が10分間で1.3m上昇している。非常に短期間で大量の水が流れ大きな災害となった。
 積乱雲は、高さ十数km、幅 数km~十数kmで、積乱雲から、雷、急な大雨、ひょう、竜巻などの激しい突風を生じる。にわか雨から集中豪雨へ移り、積乱雲が組織的に発達して、大雨を生じる。
 「にわか雨」では、雨は短時間に降り止み、雨量は少ないが、「局地的大雨」は、大気の状態が不安定なとき、単独の積乱雲が発達し、雨が一時的に強まる。局地的に数10㎜の総雨量となる。「集中豪雨」となると、低気圧や台風、前線などの影響や地形効果によって、積乱雲が同じ場所で次々と発生、発達を繰り返し、狭い範囲に数100㎜の総雨量となる。
積乱雲がちかづいてきたら注意する必要があり、竜巻などの激しい突風には、竜巻注意情報、ナウキャスト情報を得ることが肝要である。

4 平成30年の近畿地方の記録的な高温
 平成30年は、台風第7号や活動が活発となった梅雨前線の影響により広い範囲で記録的な大雨(平成30年7月豪雨)の後、7月9日頃に梅雨明け、その後、日本付近へ高気圧張り出しが強まり、晴れて気温の上昇する日が多くなり、近畿地方の夏の平均気温は平年差+1.5°Cで、1946年の統計開始以降、高いほうから第1位となった。
「高温注意情報」は、国が行っている熱中症予防対策の一環として、翌日または当日に高温が予想される場合に、熱中症が発生しやすい気象状況になることを伝え、熱中症への注意を呼びかける気象情報である。「高温注意情報」が発表されたら、 特に、外出時や屋外での作業時、高齢者、乳幼児、体調のすぐれない方がおられる家庭などにおいては、水分をこまめに補給し、多量に汗をかいた場合は塩分も補給する、カーテンで日射を遮る、冷房を適切に利用し室温に留意するなど、熱中症に対して十分な対策を取ることが必要である。

5 平成30年6月の大阪府北部の地震
 日本で発生する地震のタイプのうち、内陸の活断層で発生する地震としては、平成7年兵庫県南部地震、平成28年熊本地震などがあり、大阪府北部地震はこれにあたる。「内陸断層地震」に対するものは、プレートで発生する「海溝型地震」である。
 内陸の活断層で発生する地震は、深さ20㎞、地震の規模はM7.0まで(M8.0の事例もあるが)であり、 私たちが生活する直下の浅いところで起こるため、海溝型巨大地震と比べ、規模が小さくても甚大な被害が発生する。
 大阪府北部地震は、マグニチュード(M)6.1、 
震度6弱は、大阪市、高槻市、枚方市、茨木市、箕面市などであった。
 大阪北部地震にあたり、「緊急地震速報」を、大阪府、京都府、奈良県と兵庫・福井・和歌山・三重の各県の一部に出している。ただし内陸型で震源が近かったので、発表から主要動到達までの時間は短かった。
 「緊急地震情報」とは、最大震度が5弱以上と予想された場合に、震度4以上が予想される地域を対象に緊急地震速報を発表するシステムであり、地震発生直後に各地での強い揺れの到達時刻や震度を予想し、可能な限り素早く知らせる情報である。ただし、技術的限度として、震源に近い場所では、強い揺れに間に合わず、また、観測所での事故の発生、観測所付近の落雷、ハードウェア障害、近接して発生した地震を1つの大きな地震と認識してしまった場合などに適切な緊急地震速報が発表できない場合がある。
 緊急地震速報の利用する場合、「あわてずに、まず身の安全を確保」が肝心である。

津波に関する知識
 地震に伴って発生する津波について次のようなことが言える。
・ 津波の高さは海岸付近の地形によって大きく変化する。
・ 津波が陸地を駆け上がる(遡上する)こともある。
・ 岬の先端やV字湾の湾奥などの特殊な地形の場所では、波が集中するので、特に注意が必要。
・ 津波は反射を繰り返すことで何回も押し寄せたり、複数の波が重なって著しく高い波となることもあり、最初の波が一番大きいとは限らず、後で来襲する津波の方が高くなることもある。
 南海トラフ・地震の想定では、神戸市の沿岸部の各区で最高津波高3.6~3.9m、最短到達時間83~110分としている。

6 天気予報の見方
 天気予報を見る(聞く)場合次のことに留意されると良い。
 兵庫県の天気予報の発表区域:北部、南部の2区域に分けている。
 天気予報の発表時間:毎日5時・11時・17時に発表、状況により随時発表する。
・時間を表す用語:
 図のように3時間ごとに「未明・明け方・朝…」、午前中・午後、日中・夜などに分けている。
・用語
  「時々」:12時間より短く1日の1/4以上
1/2未満
  「一時」:6時間より短い 1日の1/4未満
  「のち」:一般に後
・降水確率予報
  降水確率「1㎜以上の雨または雪の降る確率(%)」といった場合、
 「この予報が100回発表されたら、およそ30回は1㎜以上の雨が降る。」という意味である。
気象台のHPでは、①地域時系列予報、②降水確率、③気温予報などが提供される。
 天気予報でのキーワード
  積乱雲が発達しやすい気象状態が予測される場合には、天気予報で「・雷を伴う、・大気の状態が不安定、・竜巻などの激しい突風」などの言葉が使われていたら、天気の急変に備える必要がある。
 「激しく降る(1時間に30㎜以上50㎜未満の雨)、非常に激しく降る(1時間に50㎜以上80㎜未満の雨)、猛烈な雨(1時間に80㎜以上の雨)」などの言葉が使われていたら、大雨に警戒・注意が必要である。
 大気の状態が非常に不安定な時には、以上に合わせて「所により雨で、雷を伴い非常に激しく降る」などの表現をする。

7 防災気象情報の利活用
雨の強さと降り方
  雨の強さ(雨量)と降り方については、おおよそ次のような区分を用いている。
  1時間雨量(mm)  予報用語    人の受けるイメージ           屋外の様子
  10以上~20未満  やや強い雨   ザーザーと降る           地面一面に水たまりができる
  20以上~30未満   強い雨    土砂降り                   〃
  30以上~50未満  激しい雨    バケツをひっくり返したような雨   道路が川のようになる
  50以上~80未満  非常に激しい雨 滝のように降る           水しぶきで、辺り一面が白っぽく
   80以上~    猛烈な雨    息苦しくなる、圧迫感、恐怖     なり、視界が悪くなる。

風の強さと吹き方
 風の吹き方では、平均風速10~20m/sで「やや強い風」、15~20m/sで「強い風」、20~30m/sで「非常に強い風」、30m/s以上で「猛烈な風」と言っている。15m/sを超えると風に向かって歩けなくなり、転倒する人も出る。30m/sを超えると屋外での行動が極めて困難となる。

気象庁の発表する情報と対応行動
 気象庁が発表する情報とこれに対する対応をまとめれば次のようである。
 『大雨の約1日前 気象情報「大雨の可能性が高くなる」⇒ 気象情報・空の変化に注意
  半日~数時間前 注意報「災害が起こる恐れがある」⇒ 災害に備えた早目の準備
  数時間~2時間前 警報「重大な災害が起こる恐れがある」⇒ 必要に応じて速やかに避難』
 土砂災害警戒情報・指定河川洪水予報は、重大な災害が起こる恐れがあるとして、『非常事態として、地
元市町からすでに発令されている避難情報に直ちに従うなど適切な行動』をとることが必要である。
 気象庁の発表に従い身の安全を確保いただきたい。




 

第3回講演概要

  日  時   令和元年9月7日(土) 午後2時~3時30分


    場  所   神戸海洋博物館 ホール

   講演題目  「内外の災害経験を
                 南海トラフ地震津波に生かす」

  講 演 者  関西国際大学経営学部教授
                村田 昌彦 講師


  参 加 者  95名


 
講 演 概 要 (本講演概要は配布資料からまとめたもので編集責任は、
            「NPO法人近畿みなとの達人」にあります。)
 

 はじめに 
 
講演者はアジア防災センターに出向、パキスタンの災害で国連ヘリにも搭乗したが、これはめったにないことである。
 ソロモン諸島、マダガスカル島での津波調査も担当したが、住民は津波の発生機構分からず、なぜこのような災害が発生したかを理解できていなかった。我が国の災害の経験を外国に伝え、その国の防災意識が高まればと行動してきた 本日の内容は、次のとおりである。
①  これまでの自然災害・危機事案
②  国際協力/海外の災害から学ぶ
③  兵庫県の防災体制
④  南海トラフ地震への対応
⑤  災害に対する心構え

1 これまでの自然災害・危機事案
 これまで大正期からの我が国の主な自然災害を示すと、
  1923年(大正11年) 関東大震災 14万人の死者・行方不明 60万棟の被害
  1959年(昭和34年) 伊勢湾台風 5,098人 83万棟  この台風被害から災害対策基本法ができた。
  1961年(昭和36年) 第2室戸台風 死者202人 2年前の伊勢湾台風の経験が被害を少なくしている。
  1983年(昭和58年) 日本海地震 10mの津波が発生。死者104人のうち101人は津波によるものである。
  1990年(平成2年) 雲仙普賢岳噴火、火砕流が発生34人の死者
  1993年(平成5年) 北海道南西沖地震 奥尻に30mの津波が来襲、230人の死者
  2004年(平成16年) 新潟・中越地震 M= 6.8  震度7 土砂崩れなど 死者68人
 そして、1997年(平成9年)に阪神淡路大震災(前頁阪神高速道路の被災写真)が発生し、死者は6,402人をかぞえた。2011年(平成23年)に東日本大震災が発生、死者は22,190人に達した。
 このほか、1945年(昭和20年)三河地震、1946年(昭和21年)南海地震、1947年(昭和22年)カスリーン台風、1948年(昭和23年)福井地震、1953年(昭和28年)南紀豪雨、1954年(昭和29年)洞爺丸台風などの大きな被害を及ぼす災害を経験している。
 明治以降の兵庫県における災害(死者100人以上)を見れば、次のようである。
 1892年(明治25年)台風、死者100人
 1925年(大正15年)北但馬地震(M6.8)425人
 1934年(昭和9年)室戸台風、281人
 1938年(昭和13年)阪神大水害 731人(右写真)
 1967年(昭和42年)7月豪雨 100人
 1995年(平成7年)阪神淡路大震災
 また、重大事故としては、ナホトカ号の重油流出が、1997年(平成9年)に発生、その他、明石の花火事故(2001年〈平成13年〉)、JR福知山線列車事故(2005年〈平成17年〉)この他台湾人SARS感染者入国(2003年〈平成15年〉)、鳥インフルエンザ(2004年〈平成16年〉)などが発生している。

2 国際協力/海外の災害から学ぶ
 震災の教訓と蓄積―国際防災・人道支援の拠点として「人と防災未来センター」が、設立されたが、この機関は阪神淡路大震災時の国際支援の恩返しというべき業務も役割の一つである。人とみらい防災センターを中心として兵庫県災害医療センター、日赤兵庫県支部、神戸日赤病院などの医療関係機関、国際協力機構(JICA)、アジア防災センター、国際防災復興機構(IRP)などの国際機関それに神戸地方気象台など防災関係機関や国際機関が位置している。
 2005年(平成17年)第2回国連防災世界会議が神戸市で開催され、2005~2015年の世界共通の防災戦略目標として、「 ① 持続可能な開発の取組みに減災の観点をより効果的に取り入れる。 ② 全てのレベル、特にコミュニティレベルで防災体制を整備し、能力を向上する。 ③ 緊急対応や復旧・復興段階においてリスク軽減の手法を 体系的に取り入れる。」を決めた。
 2010年(平成22年)国連世界防災キャンペーン「災害に強い都市の構築」では、チャンピオン(防災・減災リーダー)に兵庫県知事を認定し、ロールモデル(模範都市)として兵庫県を認定した。
 海外の災害に目を向けると、2007年(平成19年)バングラディシュで大きなサイクロンが発生して4,000人にのぼる死者を出した。バングラディシュでは、これより以前に1970年、1997年にも同じようなコースを取るサイクロンが発生している。(前ページ図 左から1970年、2007年、1991年のサイクロンのコース)
 1970年のサイクロンでは、約30万人死亡、最大風速57m/s、最低気圧966hPaであり、1991年のサイクロンは、約14万人が死亡したが、2007年は、死者4千人と1970年と比べ2桁死者が減っている。
 これには、防災教育を実施して災害を語り継ぐとともに、防災体制を充実し、災害情報の伝達にはハンドマイクで村を回るなどを行い、施設としては全国に約2,000か所サイクロンシェルターを設置している。(右図:サイクロンセンターの位置:図の赤マーク)また、 堤防の整備と防潮林の植林を行い、河川沿い、海岸沿いの堤防を設けている。堤防、道路等災害インフラを整備しているが、逃げる場所の確保、備蓄庫整備を行っている。防潮堤は、避難場所としても利用できる。
 災害発生後の復興物資、復旧資材の輸送は、道路事情、燃料の関係などから自動車は使用できず、ラマ、馬、ロバが使われている。ネパールではシェルパが輸送を担っていた。災害の発生で観光が無くなるので失業対策の意味もある。
(左写真:ラマによる輸送)
 スマトラ島地震津波は、2004年12月26日7:58に発生したが、震源深さ30km、M9.3 であり、死者22.8万人 負傷者13万人を数え、 スマトラ島を中心とするインドネシア、マレーシア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、ソマリアなど14か国に被害が及んだ。そのうちインドネシアシムル島では、全島人口8.4万人(海岸に6.6万人)であったのに、 死者5人のみの被害であった。地震を感じて、引き波が生じ、魚が砂の上を飛び跳ね始めた時、「津波だ!」と叫び次々逃げながら山に向かった。その結果ほとんどの人が助かった。この島では1907年に津波があり、この経験を歌に残して語り継いでいた。津波について災害前に知っていたかを調べると、シムル島74.6%に対し、バンダアチェは11.5%で人口の4割に当たる7万人死亡している。防災教育の重要さを表している。
 災害を語り伝える事例としては我が国に「稲村の火」として残されている話がある。1854年の安政南海地震の折、日暮れに大津波が来襲したが、庄屋の浜口梧陵が自分の畑の稲藁に点火し、村人に知らせ、村民の命を守った。浜口梧陵は、私財で海岸堤防を築堤、防災に合わせて、雇用創出を図っている。この話をラフカディオ・ハーンが小説化、小学教科書に取り上げられ、1937年、1946年の南海地震・津波の折に被害を抑制した。この話は8か国の絵本に紹介されており、 これに地震・津波の発生メカニズムも加えて防災教育としている。

3 兵庫県の防災体制
 兵庫県の防災体制は阪神・淡路大震災を機に大きく変わってきた。阪神・淡路大震災では、    市街地の火災、住家の倒壊、オフィスビルの被害、高速道路・高架橋・鉄道の被害など大きな被害を生じた。阪神・淡路大震災の教訓として、次の4点が指摘される。
① 災害に対する備えの大切さ:当時大地震が起こると思っていた人の割合は、平成3年で全国22.9%、近畿8.4%であったが、これが平成17年で全国64.4%近畿45.6%となった。
② 初動の大切さ:災害対策要員の不足。8時30分の第1回災害対策本部会議では、本部員5名のみ、情報通信システムも麻痺、衛星回線もダウンした。
③ 地域防災の大切さ:震災で救出された被災者で、ガレキの中から救出された被災者の約8割は近隣住民によるものであった。約27,100人が近隣住民により救出された。消防・警察・自衛隊による救出は、約7,900人であった。
教訓:大規模災害発生直後は、家族や近隣者による自主的な消火活動、救出・救護活動が
大きな効果を発揮する
④ 防災関係機関相互の連携の大切さ:防災体制の構築に時間がかかった。自衛隊の要請、応援消防のホース接続に時間がかかった。
これらの教訓を踏まえて防災体制を次のように強化してきた。
① 平時における備えの充実:
防災監職の設置 平成8年.4月~
防災企画局、防災対策局の設置 平成17年4月 
本庁各部局及び県民局に危機管理員を設置 平成20年4月
防災対策センターの設置平成12年4月
 防災対策センターは、震度7の地震、ライフライン途絶に耐える構造設備とし、
 災害対策本部室、事務室、宿直室、備蓄倉庫、非常電源装置、井戸を設ける。
      また、広域防災拠点の整備 広域防災拠点のネットワークの構築を行う。
  ② 初動体制の整備:
ア 災害対策要員の確保 24時間監視体制 災害待機宿舎整備
イ フェニックス防災システムの整備 (H8~)
     災害情報収集・共有、被害予測
     人員・物資の需要推計、地震・気象・洪水情報、地理情報等
     防災専用端末設置台数306台
ウ ひょうご防災ネット 携帯電話のメール機能、ホームページ機能を利用 
    県や市町が住民に緊急情報等を伝達するシステム
エ ひょうご防災ネットアプリ 5月21日から運用開始
   ③ 地域防災力の向上
 ア 防災力強化県民運動の推進 「減災活動の日」毎月17日
   イ 新ひょうご防災アクションの策定(H29.1)
    災害を知るー防災・減災を学ぶー自ら考え、災害に備えるー訓練―行動
  ④ 災害対応の仕組み
阪神・淡路大震災時の件の体制:正規職員20名であったが、H31.4.1現在の体制:正規職員70名となっている。
兵庫県の対策本部 設置者=知事、震度5強以上で自動設置、
災害警戒本部 設置者=防止監 風水害に備えるため:動員、事前対策

4 南海トラフ巨大地震への対応 日本は、ユーラシアプレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートの交わるところに位置している。(右図) 内海トラフ地震は、今後30年以内の発生確率80%程度(M8~M9級で)であり、神戸にも昔の津波の痕跡が認められている。
 過去の南海トラフ地震の破壊領域、地震間の年数、被害の概要などをまとめて図示したものが下図である。

南海トラフ巨大地震が発生すれば、関東から九州にかけて広域巨大災害をもたらし、兵庫県では洲本市、南あわじ市が震度7、神戸市、尼崎市、伊丹市、姫路市などが震度6強、その他広域にわたり震度6弱と予測されている。
 兵庫県の被害想定は、県全体の浸水面積 6,141ヘクタール、神戸市の最高津波水位約4m、到達時間約80分、阪神津波水位4m、到達時間110分、播磨で2~3m、約110分と各地の浸水深を推定している。また、色々なケースでの被害想定区域を数値で出している。
 兵庫県の津波被害想定結果(夏の12時発災)は、次のようである。
  建物:全壊約3.7万棟、半壊17.8万棟、死者約2.9万人、負傷者約3.4万、ライフラインの
被害による影響:上水道約70万人、下水道約195万人、電力約114万軒、都市ガス約7千
戸、固定電話約6万回線、など
 地震対策のうち揺れへの備えとして、兵庫県耐震改修促進計画を策定している。地震の揺れを三次元に直接与えることで、その揺れや損傷、崩壊過程の詳細検討が可能になるので、実大三次元震動破壊実験施設(E-ディフェンス)で試験を行っている。(右 写真:既存木造住宅の耐震補強比較実験。右の建物は耐震補強をしたもの)
 津波対策の津波防災インフラ整備計画を事業費約620億円で次の方針で推進している。
 レベル1津波:発生頻度が高い津波(100年に1回) 防潮堤で津波の越流を防ぐ
 レベル2津波:最大クラスの津波(M9クラス) 防潮堤は粘り強い構造、浸水被害を軽減、併せて避難対策を推進する。
 避難対策は、津波一時避難所の確保を進めている。
 兵庫県の周辺には多くの断層があり、断層を原因とする地震に対する対策も肝要である。そのうち上町断層、山崎断層に起因する地震に対しても発生確率は低いものの各地の被害想定を行っている。
 地震津波対策一つとして、防災訓練は大切なものである。南海トラフ地震津波住民一斉避難訓練を平成30年11月5日に78,00人、240機関参加のもとに実施し、県、関係市町、自衛隊、警察、消防、海上保安部、医療関係機関、ライフライン関係機関、自主防災組織等が参加した。今後とも防災訓練を実施して行くこととしている。

5 災害に対する心構え
 災害防災の心理として、「集団同調性バイアス:自分以外に大勢の人がいると、取りあえず周りに合わせようとする」心理状態や「正常性バイアス:異常事態に遭遇した時「『こんなばずはない』これは正常なんだと自分を抑制しようとする」心理状態がおこるが、このような心理状態が避難勧告と実際の避難者数(平成27年台風27号の例で避難率:0.4%)の数字に表れている。
 「天災は安心した頃にやってくる」ので、正常性バイアスからの脱却し、災害を想定した日常生活を送ることが大切である。



第4回講演概要

    日   時   令和元年10月19日(土) 午後2時~3時30分

    場   所   神戸海洋博物館 ホール

    講演題目  「260万年前に始まる大阪湾、
               六甲山の誕生と成長」

    講演者   (一財)災害科学研究所研究員
          NPOシンクタンク 京都自然史研究所理事
                中川 要之助 講師

    参加者   95名



講 演 概 要 (本講演概要は配布資料からまとめたもので編集責任は、
           「NPO法人近畿みなとの達人」にあります。)

はじめに
  大阪湾が沈降して六甲山が隆起したのは地質学の定説である。この学説は50年以上前に大阪市立大学の池辺展生、藤田和夫両先生が提唱した六甲変動である。現在は地球上の地学現象はプレ-トテクトニクス説で総合的に説明されるが、六甲変動は当時の地質学会で異端視されていたプレ-ト説を取り入れた先駆け的学説であった。今はプレ-トに関する多くの事実を組み入れた六甲変動はとりわけ地震や活断層の研究に適用されている。
 講演者は卒研以来の野外調査デ-タを基本に近年の詳細な測地データ、地球内部構造、年代測定、海底地盤調査、深層ボ-リングなどをもとに六甲変動を再検討した。その結果、大阪湾の誕生は130万年前、六甲山の隆起は40万年前であることが分かった。本日は大阪湾と六甲山の地史をプレ-ト説に関連して話す。講演者の話は当然ながら仮説で、この仮説が検証され、定説と認められることを後世の研究者に期待している。

1 神戸の地形・地質概要
  日本列島はフォッサマグナを境に東北と南西に分かれる。フォッサマグナはいわば大断層である。また南北は中央構造帯で分けられている。
  東北日本は地質は柔らかい火山岩が中心で、南西日本は主に硬い花崗岩が中心で、土質も花崗岩の風化した真砂土が多い。花崗岩は放射能を持っており、自然放射能は、関東で0.45シーベルトであるのに対し関西では0.9シーベルト(環境基準1msv/年)と高い。
  地形・地質や作物その他でカ関東と関西の違いを列挙してみると次のようになる。
     関東= 岩石:安山岩類、土:関東ローム(柔らかい)、海岸:黒砂(湘南海岸)、野菜:大根・ネギ:練馬大根、深谷(白)ネギ、災害(地震):地震:関東大震災、振動(揺れ)、食べ物:納豆、濃口醤油、江戸前にぎり、キノコ:シメジ、エノキ、マイタケ、山林:山:雑木林(トトロの森)、魚:マグロ、建物:江戸間、周波数:50ヘルツ
     関西= 岩石:中・古生層、花崗岩類、マサ土(砂質土)、白砂青松(須磨海岸)、野菜:青首大根、九条(青)ネギ、災害(地震):阪神・淡路大震災:衝撃破壊、食べ物:味噌、薄口醤油、大阪箱寿司、マツタケ、椎茸、山林:里山、魚:ブリ、建物:京間(関西畳)、周波数:
60ヘルツ
  若狭湾から大阪湾に至る近畿三角地帯は、特殊なところで日本列島に力がかかっていることが分かる。これらも六甲山の形成、大阪湾の形成に影響を与えている。

2 構造盆地の沈降と地層の堆積  今から1500万年前までは、大阪湾は構造盆地であった。東西・南北の地形を見ると、三田盆地より北は低くなっているが、大阪湾は陥没によって生じた名残である。
  2,000万年前の日本列島は、年間1mの割合で移動していた。六甲の地質は斑紋岩などが中心で、北の大陸に続いており六甲より北は大陸の名残をとどめている。
  大阪湾は、構造盆地として落ちてゆく中  
    (右写真:神戸付近鳥瞰(グーグル)
で堆積して行き、岩盤は2,000年を超える前までの生成である。

3 丘陵の地質と大阪湾成り立ち
  1960年ころは、プレート学説は、俗説扱いで、「プレートはマントルより軽いもので沈まない」と言われていたが、そのうちプレート学は受け入れられるようになってきた。
  関空の1,300mのボーリング、陸地の用地造成工事で地層が露出し、地層の重なりが分かる部分を見ることにより徐々に大阪湾の成り立ちが実証され始めた。九州から飛んできたアズキ火山灰も解明に役立った。
  千里丘陵の柱状図では、MC0~Ma6(MC,Maは地層を表す)と13回目の層が観測され、広く海が入ってきたことが裏付けられた。
  中央構造帯は 四国―淡路 淡路―紀州の間で傾いている(淡路で反時計周りに回転している)。
170万年前に淡路島が回転して生じた断層が氷河期に侵食されて紀淡海峡が生まれた。そして、130万年前紀伊水道から海が大阪湾に侵入してきた。氷河はおよそ10万年毎に訪れ、その合間の間氷期に大阪湾に徐々に海が入ってきた。
  この頃大西洋の暖かい沿岸流が大量に雪を降らせ、ヨーロッパと北米に氷河が発達した。一方、ベーリング陸橋では太平洋からの暖流が閉ざされたシベリアに氷河を発達させなかった。
約40万年前六甲山が隆起した。(満池谷の不整合が生成されたころで、日本も全体的に隆起している) 
  2万年前の氷河期に海面が150~200m低下して、大阪湾に谷が刻まれた。現在の大阪湾は最後の氷河期に刻まれた谷に侵入した14回目の海である。

4 大陸移動と大阪湾
  地球全体を見れば、地球の2/3は海、1/3は大陸で、海の1/2は太平洋である。すなわち、太平洋は地球の2/3✕1/2=1/3である。したがって太平洋と大陸は概略同じ広さである。パンゲア(まとまった超大陸)の北西部の海岸は北米大陸の西海岸、南西部の海岸は南米大陸の西海岸、北東部の海岸はアジア大陸の東海岸、南東部の海岸はオ-ストラリア大陸の東海岸、南部の海岸は南極大陸の北海岸となり、これらの海岸が今の太平洋と取り囲んでいる。
 このように、約40億年前に生まれた大陸は離合集散を繰り返し成長し、約2億年前に唯一の超大陸パンゲアが登場して、その周りをパンサラッサ海(古太平洋)が取り囲んでいた。=大陸が中の円、その周りをパンゲアが同心円状に囲む(2~1億年前の状態)。6500万年前 大西洋とインド洋が開け、パンゲアの断片は地球の裏側(古太平洋)に向かった。パンゲアは、ユーラシア、北米、南米、アフリカ、インド・オーストラリア大陸に分かれて離れていった。3000~1500万年前大陸が最も分離して日本海、メキシコ湾、地中海が開けた。1500万年前に日本海が開いて日本は大陸から分離した。(右図:パンゲア説明図)
  260万年前には地球の裏側では、南北米大陸がパナマ地峡で接合されメキシコの湾温が上昇し沿岸流が北流し、北大西洋沿岸に降雪、氷河期が始まった。北米・ユーラシア大陸は170万年前出現した、ベーリング陸橋で接続され、極東が寒冷化、メタセコイア(第3紀型)植物群は絶滅した。太平洋沿岸線はパンゲアの海岸線である。また、播磨高原や吉備高原は大陸地形の名残である。
アジアプレ-トの東部(東北日本)が北米大陸と合体、日本列島に大地殻変動が起きた。伊豆マリアナ弧が北上し、日本列島と衝突、フオッサマグナ形成され、穂高岳が大噴火して神戸にも火砕流で覆われた(パミス火山灰)。このころ紀淡海峡が誕生している。
  このような大きな地殻変動の一端を理解するには、2011年の東日本の大地震でアメリカ東部海岸のウエストフォードと筑波の距離が約25cm短縮し、地震による稚内と筑波の短縮距離は3.36cmであり、アメリカ大陸は20cm以上東北日本に近づいた事例を見ても明らかである。
  北米プレ-トが東北日本と合体して北から日本に楔形に進入して地殻に圧縮力が働き、断層が生じて山が隆起した。それが浸食されて近畿中央部に厚い礫層が堆積しました。

5 六甲山の誕生と変遷
  六甲変動:1956年槙山次郎博士は岩盤力学の視点から地殻に長期間水平力が加わると褶曲して構造盆地が生じると考えた。藤田和夫博士は褶曲が進むと岩盤が破壊して断層が生じて山が隆起すると考えた。藤田博士は神戸はじめ近畿の数多くの土地開発や建設工事を地質学的に指導し、その知見を踏まえて六甲変動を論じた。それは太平洋プレ-トとアジアプレ-トから東西方向の力を受けて200万年前頃から構造盆地が沈降し、基盤岩の変形速度が次第に増して、40万年前頃から急速に山地が隆起して構造盆地が沈降したとの学説である。六甲変動は今も続いていて、地質学や地震学でこの説は広く受け入れられている。
  六甲変動発祥の神戸で講演するにあたり、地質年代、地震学、広域の最新の地質情報、また講演者の地質観察などから、六甲変動は水平力でなく主に垂直方向の力の変化で生じたと考えるに至った。この仮説の学術検証は次世代の研究者に任せすることにする。
  近畿三角地帯に美濃山地、中国山地、紀伊山地の三方から力が加わり、断層が発達して       (上写真:現在の六甲山)
六甲山や生駒山などが隆起した(40万年前六甲山が急上昇)。海洋プレ-トの引き込みで1mm/年沈降していた構造盆地が、40万年前頃1~2cm/年の急速な隆起に転じた。この隆起は大阪湾だけでなく東京湾など日本の全域で生じた。また六甲山はじめ紀伊山地や日本アルプスなども10万年間に1000~2000m隆起した。その後30万年前頃から再び1mm/年の速度で沈降に戻っている。このように日本全体の急速な隆起は水平圧縮力だけでなく、アイソスタシ-の回復で生じたと考えられる。
日本の第四紀地殻変動:日本アルプスも主に約40万年前の10万年間に隆起した。40万年前、海洋プレ-トからの引きずり込みが突然無くなり、マントルよりも軽い地殻は浮かび上がった。40万年よりも古い地層は丘陵を作り、新しい地層は平坦な台地を作っている。

まとめ
  六甲山、大阪湾は様々に隆起・沈降しておよそ40万年前に六甲山が形成されたといえる。




第5回講演概要
    日   時   令和元年11月16日(土) 午後2時~3時30分

    場   所   神戸女子大学教育センター

    講演題目  「六甲山における治山の歴史
                ~はげ山からの復旧『再度山の植林』ほか~」

    講演者   前兵庫県六甲治山事務所長
                 山田 裕司 講師

    参加者   70名



講 演 概 要 (本講演概要は配布資料などからまとめたもので編集責任は、「NPO法人近畿みなとの達人」にあります。)
 はじめに
 講演者は小さい時からの山好きで、高校で山岳部に入り高1で六甲山に登った。大学は山に関することをと思い農学部林学科に進んだ。今年3月まで県の六甲治山事務所で勤務していた。森林に関しては歴史資料が残っており、六甲山にも記録が残っている。それらを話しできれば良いと思っている。
Ⅰ 治山と砂防
Ⅰ-1 兵庫県六甲治山事務所の紹介
 兵庫県六甲治山事務所は、昭和42年(1967年)10月、あとで述べる42年水害の対応から設置され、治山事業(昭和26年から)と砂防事業(昭和42年から)の二つを実施している。管内面積は、65,000Ha(現在121,000Ha)、森林面積35,000Ha(現在55,000Ha)、人口167万人(現在330万人)である。治山事業そのものは、昭和2年(1927年)から始まっており、国有林治山事業は明治26年(1893年)から実施されている。後で述べる昭和13年阪神大水害のあと、直轄治山事業が昭和13年~18年(1938~1943年)、戦後は昭和25~37年(1950~1962年)に行われたが、昭和42年(1967年)大きな水害被害を受けた。この後六甲治山事務所が設置された。
 事務所の50年間にわたる事業量は、治山ダムは、平成4~13年(1992~2001年)をピークに約1500基の整備を行い、工事費も当初からの漸増から平成4~13年(1992~2001年)にピークを迎えている。山腹工は、平成2~8年(1990~1996年)がピークで約230Haを実施し、ピークの5年間では約150億円を投資している。
 直轄治山事業を行う国の事務所もあるが、国の所有する国有林も兵庫には多い。国の事業は前述のように明治26年(1893年)より行っており、甲山の事業が始めてであった。砂防事業は県が明治28年(1895年)から東六甲で始めた。

Ⅰ-2 治山と砂防の違い
 治水三法とは、河川法(明治29年)、砂防法(明治30年)、森林法(明治30年)の三つで、対象区域は、河川、河川上流域、山地・森林である。
 概念として(広義の)の「治山」は、次のようにまとめられる。
* 荒廃した山地やはげ山に植林や土砂流出防止対策を実施し、森林に復旧、修復させること
* 低下した森林の公益的機能(水源涵養や防災機能等)を高度に発揮させるための対策
* 治山治水、砂防の一部を含む
* 保安林、禁伐林、伐採制限、火入れ規制
また、事業として(狭義)の「治山」は、
* 治山事業
* 山地の地すべり防止事業
 区分    治山事業   砂防事業
 根拠法令  森林法 砂防法
 事業目的 森林の造成若しくは維持 土砂の生産抑制し、流出する土砂を抑止調整
 実施区域   保安林   砂防指定地
 対象区域 民有林:兵庫県
国有林:林野庁 通常区域:兵庫県
直轄区域:国土交通省
 実施方法 土地使用承諾により実施
(施設の所有者は土地所有者) 用地買収 (施設の所有者は、県・国)
 事業内容 治山ダム(谷止工、床固工)、流路工、山腹工、森林整備
(植栽、人工林の間伐、広葉樹整備) 砂防堰堤、流路工、山腹工
 担当所管 農林水産省 林野庁 国土交通省
 治山事業、砂防事業をまとめて比較すると右の表のようになる。

Ⅰ-3 治山ダム・砂防えん堤の効果
治山ダムは、主に森林機能の維持・増進を目的に
小さな施設を数多く設置することが効果的である。
砂防堰堤は、下流人家等の保全を目的に、大きな施設で大量の土砂を受け止める。
 治山ダム・砂防堰堤の働きを全体的に見れば右の図のようになる。
治山ダム・砂防堰堤のはたらきは、下の図のように1回



目の土石流でダムが満杯になり、安定した勾配になる。2回目の土石流で安定した土砂の上に一時的に土砂が堆積する。一時的に堆積した土砂は徐に下流に流され、安定した個賠に戻り、次の土石流に備える

Ⅱ 六甲山系の主な災害
  神戸市に大きな被害を与ええた水害は、昭和13年阪神大水害、昭和42年豪雨災害、平成26年台風11号災害が挙げられるが、雨量、被害状況、治山事業の対応を比較すると次表のようになる。
 阪神大水害(S13)からS42豪雨災害までには治山ダム284基、山腹工2,573ha、S42からH26までには治山ダム1,295基、山腹工89haを行っており、雨量などに比べ被害の規模が減っており、対策の効果が見えている。
災害名 阪神大水害(S13) 豪雨災害(S42) 台風11号(H26)
総雨量   462㎜   371㎜   698㎜
最大時間雨量    61㎜   76㎜   95㎜
死者・行方不明   695名   98名   -
住宅全壊  2,658戸  367戸   -
崩壊地面積   323ha 225ha 20ha
崩壊地面積 500~800万m3 59万m3   少量
治山事業対策 崩壊地・荒廃地復旧 主に治山ダム ハードに加えソフト対策
 

Ⅱ-1 昭和13年阪神大水害











昭和13年阪神大水害時の写真は上のようである。復旧はボランテアによる人海戦術によっており、ボランテアの活躍は今の時代と同じである。
 住吉川、湊川では直轄による復旧を実施した。また、復旧に種苗工を使っていたが、樹種としてアカマツ、トコブシが用いられた。
昭和30年代の治山工事では、崩壊地復旧工事(山腹工)を主体にしており、
崩壊地直下に山脚固定として治山ダムを設置した。

Ⅱ-2 昭和42年六甲山系豪雨被害











 昭和42年(1967年)の六甲山系豪雨災害の写真の一部を右に示す。被害は中小河川を中心に発生した。
 この災害に対して、  六甲山系水害対策に関する答申書(昭和42年8月)が出されたが、その内容は次の4つである。
 ① 治山:予防治山的な見地による
② 砂防:防災的な砂防ダム(流出土砂調節を目的としたもの) 
③ 河川:中小河川などの早期改修、河川横断施設の再検討
④ 宅地造成:行政指導の強化と助成

Ⅱ-3 平成7年阪神淡路大震災
 平成7年(1995年)1月17日未明に発生した阪神淡路大震災は兵庫県下に大きな被害を与えたが、森林に関しては、落石、崩壊が中心で活断層上に崩壊が起こった。被害としては 山腹崩壊571箇所、 崩壊面積 44ha、被害額  82億円であった。落石の状況写真は下の写真が一例である。













 六甲山系の断層と被害箇所等の位置図をまとめたものが、右の図である。
 復旧としては、梁枠工を中心に、用地を買い取って整備した。

Ⅱ-4 平成26年台風11号災害















 平成26年(2014年)台風11号により、人家の50m手前まで流木が迫ったが(上左写真)、人的被害はなく、芦有ドライブウエイの被害(上右写真)を生じたが広域的な被害は生じなかった。
 雨量86mm以下の場合、最後に降った雨量により被害が生じると言われている。

Ⅱ-5 六甲山系の平成30年7月の豪雨災害













 平成30年7月の豪雨災害の写真は上のようである。

Ⅲ 明治の再度山の植林
Ⅲ-1 背 景
 明治時代六甲山は林が伐採されはげ山の状態であった。これを元のような緑に覆われた山に回復するために大きな努力がはらわれた。その経緯を掲載している大日本山林会会報の記載を見て実際の状況と比較して努力の跡を見てみたい。
Ⅲ-2 大日本山林会会報
大日本山林会会報に書かれていることは。次のようである。
 明治32年9月 東京帝国大学教授本多清六を招いて、水源涵養の講演会を開催
 明治33~34年 県の林業巡回教師が、市の委託を受けて現地調査
 明治35年1月 本多清六が東京帝国大学砂防口座のヘーフェルと現地を視察、ヘーフェルが荒廃状況を見て、万国博覧会へ出展してはどうかと皮肉る。
 (明治期の六甲山の写真:山肌に樹木がない。)
 *180年前の六甲山を見た牧野富太郎は、高知ら神戸へ 
来て、山腹を見て「雪が残っているかと思った。」と
書いている
 明治35年2月 神戸市がヤシャブシ苗1万本を購入し、林業巡回教師が塩が原池周辺の約7反に植栽 積苗工1030間、谷留石堰堤5カ所20坪(→試験植林)
 明治35年11月 試験植林の成功により、市による植林事業の開始。11月13日に新聞記者等を招いて現地説明会
 明治36年6月 坪野市長が本多清六に造林樹種の選定を依頼
 明治36年9月 神戸市において、39年度までの4年間で600町歩の造林することが決定
 明治36年 1074町歩が砂防指定に編入、国庫補助の砂防事業が決定。
明治36年度から48年度まで13年間継続事業
明治36年 付帯事業として苗圃(なえはた)を開墾(約3町)、翌年拡張、砂防工事への供給

Ⅲ-3 本多 清六
 六甲山系の植林を指導した本多清六について述べよう。
 本多の専門は造林学・造園学で、砂防、治山は専門でない。この本多がどうして神戸市に協力したかを見ると、明治23年、本多が欧州へ船で留学した時、三等船室で牛馬のような扱いを受け、地獄のような40日間の船旅を過ごした。この時、一等船室の後の神戸市長となる坪野平太郎が本多を勇気づけた。このような縁から本多は再度山の植林にかかわったものと思える。本多と坪野市長の出会いがなければ再度の植林はなかったと言える。本多は昭和13年阪神大水害後に、再度山の植林を指導した者としての責任感から、来神し講演会を開いている。本多は植栽樹種の多様性が重要と説き、森林の防災機能や水源涵養機能の重要性を述べ、植栽地の状況やその後の復旧状況の写真撮影を指示していた。

Ⅲ-4 林業巡回教師
 大日本山林会会報にも出ている林業巡回教師というのは、民有林の指導が業務で、神戸においては砂防工事の全体像、生田川、湊川を対象に指導した。リチャードスミスは明治35年(1902年)から明治40年(1907年)まで6回くらい神戸に来ており写真を残している。その中には試験植林を対象にしたものもある。会報に記述のある新聞記者説明は、神戸又新日報の当時のものが残っており、明治35年(1902年)11月15・16日に試験植林に関する記事を掲載している。
 これらを総合すると大日本山林会会報の内容は信頼できるものとされる。
 記録としては、県営砂防地、市営砂防地などを示した手書きの図もあり、植栽後5年、10年、15年経過したときの写真も残っており、非常に貴重なものでガラスの原板で保管されている。明治時代の植林及びその後の経過の写真は日本最古のもので、写真のガラス原板は、神戸市職員の機転で戦災喪失を免れることができ、現在に残っている。
造林台帳(右写真)、砂防工事台帳(左写真)も残っている。これらの台帳には樹種とそれが何本植えられたかを記録しており、現状と比較することもできる。これらの台帳は大切な林業遺産と呼べるであろう。


 むすび~再度山の植林その後のエピソード
 昭和49年(1974年)植生学会より再度山は「永久植林保存地」に指定された。
 平成18年(2005年)(名勝)「再度山公園・再度山永久植生保存地・神戸外国人墓地」と再度山は文化財指定を受けた。
 日本林業学会は、平成28年(2016年)から林業遺産を登録することになり、石積み遺構群写真(ガラス原板・右写真)、造林台帳、砂防工事台帳などが登録された。
 再度山は平成29年(2017年)の台風で被害を受け、再度山公園の松を根元から切ることになった。(左:切り株写真)年輪を見れば年齢は110~150年であると分かり整備の記録と一致している。ただ記録によれば、植栽した樹種は「黒松」とされていたが、切り株を見れば「アカマツ」でありどうして違ったのかは不明である。



第6回講演概要
    日   時   令和元年12月7日(土) 午後2時~3時30分

    場   所   神戸ポートオアシス

    講演題目  「阪神間を流れる河川の生態系と環境保全

    講演者   兵庫県立人と自然の博物館主任研究員
                 三橋 弘宗 講師

    参加者 65名



講 演 概 要 (編集責任 NPO法人近畿みなとの達人)
 
 はじめに
 阪神間、六甲山系の河川は、良いところが多い。そのあたりを画像を中心に説明して、それはどうしてなどかを話したい。また、六甲山系の河川では、機会があれば観察会などのイベントがあるので、それも紹介したい。
 
1 生物多様性を支える水生昆虫
河川に住む水生昆虫は魚のエサになるが、色々な生物が生息している。(右図:河川に住む水生生物の例)
 水生生物は森の中の木の葉を食べているのか、また森がなくなれば河川はどうなるのか、そのメカニズムを知ることは大切である。
 我々が考えなければならないのは、魚や水生昆虫などが絶滅しないように、また治山などの工事とこれらの生物が共存できるような方策を考えなければならない。一度絶滅したコウノトリは丸山川の浅瀬で餌を食べて生息している。浅瀬もまた大切な生息場所である。一方大雨が降っても河川が溢れないようにすることも必要である。自然再生事業で浅瀬の深さなどを検討検討、コウノトリの餌が食べられる状態とした。水生生物との共存のためには、あとで述べる自然段差事業なども進めている。これが講演者の業務である。
 
2 芦屋川の流域
 芦屋川の源流域は、奥池付近の平らなところであり、地質も安定して、ほかの地域に比べ地形が違っていることがよくわかる。等高線もまばらで、人が住める地域である。湿地で山の上であることから涼しく余所からの生物も集まってくる。絶滅危惧種も多く見られる。サギソウなどが生え、水生昆虫も珍しいものが見られる。六甲山中では特殊なところといってよい。少し行くと谷川である。広くなったところに逆流提が設けられ、150人に上る水辺の観察会も催されている。(下写真:左源流域・奥池地域、中上流域、右上流域) 








 中流域は天井川となっている。六甲山からは花崗岩のサラサラした砂が沢山出て、砂が溜まり川底が高くなる。JRは、芦屋川、住吉川の川の下を通っている。中流では橋の下で流れがゆっくりとなり草が生えてくる。(下左写真)かなりの川幅を持ち、両岸の堤防は頑丈に作られている。カニ、ウナギが生息している。
 下流域は草が生え、また砂が溜まることから定期的な掘削が必要となっている。河口域はさらに砂が溜まり砂浜を形成している。ここは、生物の最も多いところで砂の恵とも言える。(下中写真;下流域、下右写真:河口域)アユは河口域から少し離れたところに生息する。アユは冷たいところを好むが、水が冷たいといことは、酸素が豊富ということになる。
 芦屋川は源流から河口までコンパクトにまとまっている珍しい河川といえる。 








 
3 六甲山系の河川
 六甲山系の河川の特徴を見ると、六甲山から水が勢いよく流れてくるため、① 下流でも水がきれい、② 下流でも水が冷たい、③ 急流で雨が降ると危ない、④ 平らな場所が殆どない と言える。
 生物の面では、次のようである。 ① 水生生物は少なく、希少種はほぼいない。② ドジョウやメダカ、フナは見かけない → 洪水で流されてしまい、回復しない。③ ヨシノボリやハゼ、モクズが多い → 海とつながっている。④ きれいな水の指標となる種は多い → 上流域では約60種以上が生息
 六甲山から流れ出る川はとっても危険で、左の写真は芦屋川の増水時の様子で、右の写真は都賀川の例である。都賀川では降雨後一瞬の間に増水して人命を失っている。
 きれいな水に住む水生昆虫としては、プラナリア、フタツメカワゲラ、ヘビトンボ、ナカレトビケラなどがいる。また、海から登ってくる魚やエビ、カニが多い。
 
4 六甲山系の川の課題と対応
 前述のように大雨が降ると、河口まで急な流れで淀みがないため生物が絶滅しやすくなっているので、洪水の時にも水生生物が逃げられる河川にすることが必要である。まっ直ぐでコンクリートに固められていると、洪水は掃けるが水生生物も共に海まで流されてしまう。川の底や水際に隙間があることが大切で、水生生物のためには水辺に植物があると有効であり(上左写真)、避難場所となる植生が確保されていることが肝要である。
 水生生物は成虫になるのに2年掛かるので、2年を耐え忍べばその川に生きつづけられる。 流れが緩やかな部分を人工的に作ったワンド(上右写真)が水生成物の避難場所として確保されている。
 また、河川の中に置かれた石などが姿勢生物の隠れ場ともなっている。(左写真)
 河川のダムや堰による流れの断絶が生物の遡上を妨げていることに対しては、住吉川では、アユの育成のため前面型階段魚道(右写真)を設置して比較的安価な対策として効果を上げている。
 流れを緩やかにするために堰を設けて仮称を擾乱する力を減少させ、川底を固定化して土砂の堆積を促進させる方法をとっているが、一方植生の繁茂と植林化が進むという欠陥もみられる。これは都市河川に特に著しいが、丹波、但馬でも問題になっている。
 治山対策としてダムが設置され、これが流れを分断し、生物の生育を阻害するという点もあるが、近年は環境配慮型ダム(右写真)が開発され、魚も登れるし、砂も硫化できるというもので効果を上げている。
 最近は河口部にアオサの大繁茂があり問題となっている。特に芦屋川の河口で大きな問題となった。生田川は生物が少ないが河口部は素晴らしいといえる(上右写真:生田川河口付近)。石屋川ではウナギトラップを設けて天然ウナギをとっており、宮川ではアユ、ウナギ、ハゼが生息している。

5 おわりに
 六甲山系の河川は、ある時は危険であるが、生物も多く、例えば打出浜小学校の直近(左写真)に多くの海生生物の生息が観察できる。このように、多くの人々に河川に生きる生物が観察でき、川を語る人々が出てくることが期待される。そのためにも河川に掲示されている案内板(右写真)ももっと興味を引き付けるような美しいものとなってほしいし、できれば六甲山の川を楽しむガイドブックがあればと望んでいる。